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2022.07.06

白川村での愛しい思い出を、次の世代へ。/下方大誠さん


「いつかは白川村に戻りたい」と想いを抱いて。

2020年の年の瀬。白川村鳩谷地区出身の下方大誠(したかた たいせい)さんは約10年ぶりに白川村での暮らしをスタートしました。

中学卒業後は、所属していたバレー部での活動が評価され、岐阜市の高校へ進学。コンビニやスーパー、娯楽施設が近くにあり、何でも手に入る便利な暮らしは、当時15歳の下方さんには刺激的でした。

「もう少し街での生活を楽しみたい」と、高校卒業後は岐阜市の会社に就職。けれども、心にはいつも白川村の存在がありました。

「地元を離れてからも、長期休暇にはいつも村に帰っていました。いつも父が指導するバレー部のコーチ仲間たちがお酒の席に誘ってくれて、それが楽しくて」。

どぶろく祭の練習にも特別に参加させてもらい、お酒を振る舞ってもらったこともあったと言います。

あたたかく迎えてくれる故郷の人たちへ、いつか恩を返したい。そんな想いがだんだんと募り、社会人生活6年目の年に、白川村へ戻る決心をしました。

仕事も地域の活動も。大切にしたいものに積極的に取り組む。

Uターン後、下方さんは祖父が創業し、現在は叔父さんが経営する「有限会社 和田工業所」へ就職。

ホイールの研磨というこれまでに経験のない仕事を任されています。前職は営業職だったという下方さんにとって、手先の器用さや経験が求められる今の仕事は苦労も多いと言います。

それでもこの仕事を選んだのには理由がありました。

「他の仕事先からも声をかけてもらったんですが、祖父が創った会社を残したいという気持ちが昔からあって。まずは今任されている仕事を全うしながら、将来的には、今と形が変わったとしても継いでいきたいと思っています」。

そんなことを少し照れ臭そうに、けれども熱く語ります。

勤務先の有限会社 和田工業所の社屋

また、岐阜市にいた頃は仕事中心の生活でしたが、現在は地域の活動にも日々参加。

「青年会では成人式実行委員を務める予定です。自分たちも楽しませてもらっていい思い出になっているから、次は楽しませる番かな。次の世代にも喜んで欲しいですね」。

自身のバレー部での経験を生かし指導

さらに、白川郷学園のバレー部のコーチや、消防団員も務め、夏からは3年ぶりの開催が期待される伝統行事「どぶろく祭」の獅子舞の太鼓役の練習も始まります。

幼い頃から参加していた地域の伝統行事「どぶろく祭」の獅子舞

「昔から獅子が好きだったんです。Uターン前から次はお前だって言われていました」。

旧友や新たな仲間と共に 。

そんな下方さんの願いは、白川村で共に育った同級生たちが村に帰ってくること。

「地元を離れて初めて、村で育った同級生とは特別な関係だったんだと気付いたんです。今は村外にいる友人も“いつかは村へUターンしたい”、“子育ては白川村でしたい”という同級生も多いんですよ」。

そのためには仕事や住む場所の課題を解決しないと、と語ります。

「仕事がないからUターンできない、という話もよく聞くので、仕事の情報を積極的に発信してもらえるといいですよね。あとは、まちでは当たり前の働き方も白川村ではそうでなかったり、女性の正社員の働き口が少ないことも課題だと感じます。そういったことが少しづつ解決していけるといいなと思います」。

また昔からの関係だけでなく、村への移住者との新たな交流も生まれています。

「転勤で白川村に来ていた人は、よく近所の家の飲み会に参加してましたね。まちでの転勤だと、なかなかそういう関係はできないですよね」。

聞けば、その方は別の場所に異動になってからも、よく白川村に遊びに来てくれるそう。

「白川村に縁もゆかりもない移住者であっても、個人的には壁は感じていません。わざわざ白川村に移住する人は変わり者ですよね(笑)。でも、ありがたいことだと思います。出身者、移住者関係なく、一緒に村を盛り上げていきたいです」。

白川郷学園のバレー部の子どもたちと

白川村で過ごした愛しい日々を次の世代にも。下方さんの「恩返し」は始まったばかりです。


下方 大誠(したかた たいせい)さん

白川村鳩谷地区出身。中学校卒業後、岐阜市内の高校へ進学し、岐阜市で就職。2020年に白川村へUターン。現在は有限会社 和田工業所に勤務。

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